名古屋市内随一の庭園、白鳥庭園内のお茶処、茶寮汐入に行ってきました。季節により変わる景色と、「汐の満ち引き」を感じながら、お抹茶と季節のお茶菓子をいただきます。
白鳥庭園に行ってみた
白鳥庭園は、倭建命(日本武尊)- ヤマトタケルノミコト – の魂が白鳥に姿を変えて降り立ったと伝わる場所、白鳥古墳のすぐ近くにあります。 倭建命 の佩刀で、三種の神器のひとつである草薙剣が納められた熱田神宮へも歩いて行ける距離にあります。
白鳥庭園内には、数寄屋造りでお茶会などに利用される清羽亭と、来園者が自由に利用できるお茶処、汐入があります。茶寮汐入ではランチタイムにお食事もありますが、やはり私はここでお抹茶をいただくのが好きです。スイーツも色々あるので、「和カフェ」ですかね。
週末に白鳥庭園を訪れるのであれば、汐入には午前中に行くことをお勧めします。お昼時やその後は混雑して、ちょっとバタバタすることがあります。ただ食事をするだけならそれでも構わないのですが、お茶をいただく時は、せっかくなので静かに外の風景を眺めたいところです。
店内に入ると土産物売り場があり、その横にある券売機でまず食券を買います。中央にはテーブル席があり、大きなガラス窓に沿った2面にはカウンター席があります。店内の和の雰囲気も良いのですが、特筆すべきは窓からの眺めでしょう。
茶寮汐入の名前は、そこから見える風景に由来しているようです。
汐入の庭は、汐の満ち引きによって移り変わる景色を楽しむ庭です。
白鳥庭園ウェブサイト「汐入の庭」(http://www.shirotori-garden.jp/shioiri/index.html)
ここには、
静かに満ち引きを繰り返して変化する風景を作り出す「水」
打ち寄せる波しぶきを表す「噴水」
打ち寄せた汐が岩場のくぼみを伝って砂浜へ引いて行く様子を表す「水」
の3つの表情があります。
席に着いてしばらくすると、噴水で表現する「波しぶき」が見られました。
この日のお茶菓子は栗羊羹でした。誰も見ていなくてもお茶碗を3回廻して、美味しくいただきました。
遠くに見える高い建物がなければ、自分が名古屋市内にいることを忘れてしまいそうな場所です。お茶を楽しんだ後、庭園のさらに奥へ進み、しばらく散策しました。
上の写真は園内の滝のひとつ「雄滝」の下流の小川と、その向こうに見えるのは雄滝を眺める場所にある「滝見四阿」です。こんな所を歩いていたら、自分が名古屋市内にいることを完全に忘れてしまいます。
今はまだ異様に長い残暑の時期ですが、もうしばらくすると紅葉が見ごろになるでしょう。その頃にはまた来ることになりそうです。
基本情報
倭建命と白鳥古墳
カフェめぐりから話は逸れますが、白鳥庭園があるこの地と縁が深い倭建命についてお話します。尚、ヤマトタケルノミコトは、日本書紀では「日本武尊」、古事記では「倭健命」と綴られ、一般的には日本武尊が多く使われるようです。しかしここでは敢えて、物語が叙述的に語られる古事記に倣いたいと思います。
私は神奈川出身です。日本の古代史には興味があるのですが、残念ながら神奈川が歴史の表舞台に登場するのは鎌倉時代以降です。そんな中、関東に遠征する倭健命には親しみを覚えます(当時関東に住んでいたのは「まつろわぬ人々」でしたが)。倭健命の一行が相模湾を渡る際には海が荒れ、海の神の怒りを鎮めるために妻の弟橘比売命は海に身を投げたとされています。私が生まれた町の近くには、その弟橘比売命の着物が流れ着いたと伝わる橘神社がありました。
さて、その倭健命は関東遠征の帰路、地元の神の怒りに触れ、故郷の纒向に帰れぬまま絶命します。前述のように、その魂は白鳥に姿を変えて大和に向けて飛び立ち、途中で降り立ったとされる場所に白鳥古墳はあります。元は前方後円墳だったそうですが、今ではその形をとどめていません。それでも、ここはかつて古代史の舞台になったのだと、思いを馳せる場所です。
須佐之男命により八俣の大蛇の体内から取り出された天叢雲剣はその名を草薙剣と変え倭建命の佩刀となり、今は三種の神器の一つとして熱田神宮に鎮座しています。
熱田神宮についてはこの後紹介する喜与女茶寮でもう少し説明します。
日本の古代史を読む
ここに紹介する本は私が学生時代に買って、今でも愛読書となっている古事記の全訳注本です。各章が原文の書き下し文、現代語訳と注釈、解説から構成され、専門知識がなくても無理なく読めます。須佐之男命と八俣の大蛇は上巻、倭建命は中巻に登場します。
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